この建物は、3つのゾーンから成る。會津八一記念博物館を中心とする保存ゾーンと、その隣に位置する自習室や事務室で構成される新館ゾーン、そして保存ゾーンの裏に位置する書庫ゾーンである。この3つの異なる用途のゾーンの機能を如何に維持して全体の耐震補強をするか?というのがテーマであり、これに見事に答えたという点が評価の最大のポイントである。
保存ゾーンは、そもそも1925年「早稲田大学図書館」として竣工した。設計は当時の建築学科主任の内藤多仲が中心となり、意匠の設計者として今井謙次が参画した。大閲覧室は収容500名、大正末期の図書館としては有数のもので「東洋一」と言われた。1階のエントランスホールには6本の美しい円柱が配された。このエントランスホールから2階へ至る大階段の踊り場には、横山大観、下村観山の合作となる絵画「明暗」が掲げられ、荘厳な雰囲気を醸し出している。
保存ゾーンは1998年の改修工事で、従来の図書館機能に、大隈記念室・會津八一記念博物館といった新機能が加えられて、現在では大隈講堂、演劇博物館と共に早稲田大学のシンボルとなっている。また1999年「東京都歴史的建造物」第1号に選定されて、事実上補強は不可能になった。
したがって隣接する新館ゾーンと書庫ゾーンの二つを、言わば十分強固に補強して、この二つのブロックで保存ゾーンが負担すべき耐震力をもカバーさせるという発想で耐震補強工事が行われた。
新館ゾーンは自習室や事務室という性格上、出来る限りオープンなスペースを確保するために、炭素繊維巻き工法や、採光と通風を確保するためのブレース工法が採用された。
また書庫ゾーンは、空間に所狭しと走る水平材と鉛直材からなる書架の構造を利用して、これに補強材を抱かせる。また、書庫ならではの階高の低さを上手く使って、効率良く補強材を配置して耐震性能を上げる。さらに外壁面の補強では窓の意匠性あるいは採光を犠牲にし、つまり窓枠にブレースを入れるなどして、全体として強固な耐震ブロックを作り上げた。
この書庫ゾーンの言わば自己犠牲的な耐震補強の結果かとも思える、狭隘な空間を見た後に、保存ゾーンの會津八一記念博物館を訪れると、大空間に伸びやかに広がる丸天井の美しさに目を奪われる。現代ではその技の継承が難しいとされる漆喰塗りが見事である。
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