第29回BELCA賞ロングライフ部門表彰建物 |
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箔屋町ビル |
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所在地 |
東京都中央区日本橋3-6-9 |
竣工年 |
1987年(2016年改修) |
建物用途 |
店舗(美術店)・事務所 |
建物所有者 |
樺ゥ日信託、 廣田 治子 |
設計者 |
廣田 豊(新築)、永井 牧 ・小林 健・遠藤二夫・若松 宏 (改修) |
施工者 |
安藤建設梶i現 活タ藤・間)(新築)、挙n辺建設(改修) |
維持管理者 |
箔屋町ビル維持保全委員会(永井牧・小林健・遠藤二夫・若松宏・山下直一・森本啓資・梅沢恵一・藤岡尋・竹倉雅夫・廣田有人)、野村不動産パートナーズ梶i日常管理) |
この建物を語るには江戸時代の町名から始めなければならない。日本橋・八重洲・京橋界隈の旧町名には、職業集団の名称が使われていた。大工が多く住んだ元大工町、桶職人の桶町、刀剣の鞘(さや)を作る職人の南鞘町、甲冑を作る具足士の具足町などと数が多い。そして箔屋町は、金銀の箔を打つ箔打職人が多く住んだ町である。箔の芸術性や美術品への利用とも関連したのであろうか、江戸時代末期からは古道具商が集まり始めたという。今でも古美術・工芸・日本画・近代絵画・彫刻・版画などを扱う約150の専門店が集まり、歴史あるアート地区となっている。特に日本橋から京橋へと続く東仲通りは、中央大通りや昭和通りと比べると静かな佇まいであり、通称「京橋美術骨董通り」と呼ばれている。1928(昭和3)年には箔屋町という旧町名は消滅し、現在は日本橋三丁目となっているが、多くの美術店や画廊が参加する「東京アートアンティーク」が毎年開催され、アートのイメージは伝承されている。 1987年、箔屋町ビルはこの東中通りの角地に6階建てテナントビルとして建てられた。所有者であり設計者でもある廣田豊氏(1951?2013)はこの場所で育ち、実家は老舗美術商の「壺中居」(こちゅうきょ)である。その子会社である「ギャラリー こちゅうきょ」が新築時から入居し、現在も営業を続けている。 ビル名称の「箔屋町ビル」にも相当の思い入れが込められているのであろう。周辺の大型ビルに比べてコンパクトではあるが、その端正さとディテールの熟練度には、凛とした品の良さが感じられる。1階から4階のテナントはすべて美術店・画廊(5階・6階は設計事務所として自社使用)であり、美術家や国内外の研究者や愛好家に親しまれ、毎年の「東京アートアンティーク」の折には多数の来訪者がある。 決して大きくない敷地にあって室内有効幅の確保や、フラット天井を実現するために空調換気設備の取り付け部スラブの薄肉化など構造的にも工夫が凝らされている。外壁打放部では「うづくり」により木目を浮き上がらせたり、出隅の処理や開口部のデザインなど、各所にこだわりを見せている。これらを良好に維持しつつ、地下倉庫への排水圧送方式トイレの導入をはじめとするバリアフリー化の推進、直結増圧給水の導入による衛生面の改善と管理負担の低減、テナントへ配慮した短工期施工が可能なエレベーター更新、照明のLED化、キュービクルのトップランナー採用など、過去3回にわたり設備的な改修・更新も行われている。 建物の持続的な維持保全を担保する仕組みとして、信託方式(資産を信託してその受益権を投資家に譲渡する手法)が採られ、アセットとしての管理は専門家である信託会社へ委託されている。また、本建物を熟知する建築・設備の技術者からなる維持保全委員会が組織化され、日常維持管理を担当する管理会社と連携して、テナント・信託受益者との間で密な連携が図られているのも特徴的である。 所有者であり設計者でもある廣田豊氏の矜持が、多くの関係者の気持ちを一つにして、ロングライフを具現化している。 |
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