第11回BELCA賞ベストリフォーム部門表彰物件
京都芸術センター
明治2年、呉服商の立ち並ぶ京都の市街地に、地元市民が中心になって設立された心学講舎−明倫舎―を前身とし、昭和6年、京都市営繕課設計(推定)・清水組施工で竣工した明倫小学校が、児童数の減少により平成5年廃校、廃校になった19校を対象とした"学校跡地利用審議会"での審議を経て"芸術センター"への転用が決まったという。
建物は、混合様式とも言えばよいのか、特異な外観の表現と、地元市民へも開放された大広間や、児童たちの道徳教育や行儀作法の為の茶室をなど、地元民との密接な関係が窺い知れる平面計画に特色がある。この計画は、建築表現上の特徴的な部分の"保存"と"センターとしての機能付加"、"バリヤーフリー対策"を意図した改修工事が施され、平成12年4月のオープン以来、市の芸術センター事業に活用されている。芸術家を目ざす若者達の訓練・創作の場や、内外の芸術家間の交流の場として無料で貸し出される代償として、利用者は市民への還元を義務付けられている。又、従来どおり、広間は地元民の集会や会合に、校庭はテニス、運動会等に開放されている。運営費は市が賄っている。この建物の存在が広く知れるにつれて、利用者も増加していると言う。
四条通りから室町通りを北にに向かうと、町屋に囲まれた狭い全面道路に面して建つ外観は、周囲からひときわ際立つ存在感である。地元民が慣れ親しんだこの部分は保存されて思い出を引き継いでいる。内部は機能に応じて、体育館はイベントの為のフリースペースに、教室は制作室、喫茶室、ギャラリィ−、図書館、情報コーナーへと替えられ、それぞれの機能に応じた技術上の解決が施されている。又、校庭に面して身障者用のエレベーターが新設されて現代の要請に応えている。
都心の喧騒から逃れた贅沢とも思えるエアーポケット、この場はなんとも不思議な時間と空間の感覚をかもし出していて、京都芸術センターへの転用に違和感はない。明治から昭和の初期に先達が残した遺産が再生され、京都の芸術活動を支える事実は、リフォーム部門が目指す価値に叶う。しかし、室内の壁面や天井面に露出された電気配管や配線によって引き戻される現実、細部まで騙し続ける工夫が欲しい。